******************************************

 

 

 

文字通り乳白色の女の肌に咽喉を鳴らしながら近づくと、においたつ甘さと猥雑な酸味が交じり合い、ますますおれのなかの性欲に点火する。薄暗くわずかな照明には色のついた独特の空間で、おれは女を「ママ」と呼び、女はおれの名前をちゃんづけで呼んだ。

街じたいがサウナになったみたいな夜が、ここのところつづいている。冷房のおかげでおかまいなしに振舞っているから、外に出ると温度差におどろくのだ。それが温暖化以外のなにかを示唆しているように思えたとき、おれは自分に問うことがある。

この店にはじめて足を運んだ半年前のことを、欲望でわななく身体とはうらはらにおれは回想していた。

 

いなかの連中が成人式のあとに集まって、約束をした。

5年後また集まろう」

当時おれは東京で大学生をやっていた。ちいさな中学校で一緒だった連中はほとんど地元に残っていて、ノリで約束をしたものの気は進まなかった。そのまま東京で就職し、気がつけば都心でバッチリ働くいわゆるモテリーマンになっていて、合コンなんかでも結構おいしい目にもあったし、昇給も順調で、調子よくやっていた。だから成人式のことは通知が来るまで忘れていたし、そもそも実家にも帰ってないし、たまに段ボールが送られてくる程度の認識でいなかのことなど思ってもなかった。出欠をとる往復はがきにマルをしながら、単純にひけらかしに行こうと思っていたくらいだ。

 実際のおれは自信家じゃない。いつも誰かに自分の抜け目を注意されるんじゃないかとヒヤヒヤしている臆病ものだ。だがその「自分を指摘するだれか」の存在が、多くの困難を排してきたとも思う。提出書類もプレゼンも、さかのぼれば答案用紙も、調子付いてそのまま提出していればヤバかったものが少なくない。厳しく客観視をするということを強みにやってきた。そのことを自分で気づけたとき、おれは変わったと思った。確かに大人として一人で立っているという自信が持てた…。そうやって振り返ってみると、社会を経験したあとの同級生と、話をしてみたいと思いはじめたのだった。それなりに心待ちにするようになった。

だが、行ってみた同窓会は何の会なのかわからなくなっていた。

同級生の中で3組も夫婦ができていた。別にそれが悪いといっているわけじゃないが、彼らの皆が子供も抱えていた。

なごなごした雰囲気の中、同窓生たちは彼らの子供を変わりばんこに抱きかかえては、出産や育児のことを話している。そのうちの一組の主人となった大川はいまは無職で、主夫をやっているという。彼の妻となった旧姓:飯野は看護婦だ。特に彼らは注目を浴びた。

256ってそんな年齢か。おれはその、どこか偽善的な参加者の雰囲気がいやで、隅の方でワインを飲んでいた。よく女性の晩婚化、なんていうけど実際いなかじゃ結婚は早いらしい。晩婚化が高収入高学歴によるものなら、早婚はその逆だな。そんなことを考えながら、群れ集っている同窓生を遠巻きに眺めていた。すると際立って美しく整った女が現われた。おれたちの学年で一番頭のよかった遠藤祥子だと確認してしまうと、おれはたちどころに祥子を抱きたいと思った。女生徒はみな成人式の時とはまた違って化粧が上達したのか、年相応になっていたが、祥子のそれはそうではなく、きわめて限定されて、いましばらく咲き誇っているというような風情だった。理由は次の瞬間にわかった。

「え、結婚したの」

 女子の黄色い声があがったからだった。それを聞いて衝動は萎えるどころかかきたてられてしまったのだが、気持ちの方はクールダウンしていく。そうか、幸福なのか…。幸福とはあんなに女の、人間の外側を変えるのか。おれは自分に自信を持てたが、他人に自信を持たせたことはないだろう…。真剣に幸福について考えてみるのだが、下半身はまるで別だった。幸福の絶頂にいるように見える彼女を、引き摺り下ろして這わせてやりたい。

気持ちを落ち着かせるために、大袈裟なグラスに注がれた安いワインをゆっくりまわし、その揺れを見ていると、そこに魚眼レンズで覗いたように男が近づいてくるのが映った。面長の顔にデザイナーズのセルフフレーム。最初は誰だかわからなかったが、話しながら塚本であることがわかった。学生時代は科学部で、根暗そうだった彼はいまや大学の研究室でなにか薬品を開発している非常勤研究員なのだという。彼は自分の仕事に就いて語るとき、素人には分からない専門用語をちりばめて、自信たっぷりに語った。学生時代の彼とは別人のようだ。おれも会話の中で自分の話をしたが、彼を見たせいかさめてしまい、自分の立場を若干過小に紹介した。

それでも彼の眼鏡は伊達でないらしくスーツのブランドを言い当てられ、

「結構、羽振りよくやってるんだろ」

 なんて皮肉みたいに言われた。そしてついでみたいに店に紹介されたのだ。同窓会は子連れたちの立場を尊重されてそうそうにお開きになり、帰るのと飲みなおすのとでばらばらになった。帰りがけに祥子に声をかけられて

「相沢君、素敵になったね。そのスーツもセンスがいい」

 なんて言われたが、やたらにスーツのことばかり言われるもんだから腹立たしくなってきた。それを見ていた塚本が、遠藤きれいになったよな、と囁くように言い、つづけておれを店に誘ったのだった。

 

 そんな店に行くのは初めてのことだったが、女の子を指名し彼女の後について部屋に入っていくと、せっかくだから楽しませていただこうという気になって、どの範疇まで可能かを聞いて、実践した。最初は抵抗があったし――そんな店に行くのはモテない、ヤレない男ばかりだろうと思っていたから――気分的に上に立っていたのだが、

「ここではもっと気楽に…、甘えていいのよ。いまは、私があなたのママだから」

 と女の子の屈託のない笑顔で、裸に限りなく近い格好で言われてしまうと、おれの優越感は雪のようにとけた。髪を撫でられて、話を聞いてもらい、身体も慰撫してもらう。その間に何度か美しく変貌した祥子のあられもない姿が頭をよぎったが、そのうち自分がだれかになにかを顕示したいだけの、無垢な子供の心に帰っている気がしてきた。祥子を抱きたいと思ったのも、単純な性欲ではなく、目立って華麗に変貌した姿であの場に登場したことへの嫉妬心だったことに気付く。

「たまには素直にならなきゃあ、だめよ」

 おれは女の子の豊かな胸にうずもれながら、そんな台詞を耳元で聞いた気がした。

 

 店を出た頃には明け方になっていて、おれは車で都内まで帰った。2時間弱で着く、ドライブにはちょうどいい距離であることを知った。実家にはいつも電車で帰っていたが、これからは車がいいと思った。高速にあがるまで私道のような人気ない農道を走り、たまに早くから農作業する人影に目をやった。目ざとい年寄りならばおれだと気づかれたかもしれない…。こういう土地にはかならず、そういったことに超人的な威力を持つ老人がいて、根も葉もない話をひろげていくのだ。だが都会で暮らすいまとなっては彼らの能力をおそれるでもない。

おれはわざと窓を開け、澄んだ空気を車内に入れた。

 むかし、ちょうど祥子や塚本と同じ制服を着て学校に通っていた頃、ときどきそういう話がうじのように湧いた。それが疎遠な友人や上級生、下級生のものであれば多少耳を化したりしたが、すこしの間だけ自分に火の粉が飛んだことがある。早世したおれの祖父の話だった。女遊びが過ぎた彼は祖母を苦労させたという。古くからの土地の人はみな知っている話だった。おれの姿形がだんだんに祖父に似てきているというのである。だから学生時代はからかいで「遊び人」と言われた。言ってる方もどういった意味か分かってなかったと思うが、そのころ目立たない普通の学生であったおれにはいい思い出ではない。

おれを育ててくれたのは、その祖父と長年連れ添っていた祖母だった。

母は看護婦をしていたし、父も都内までの会社勤めだったので、いちばん長く時間を過ごしたのは祖母である。いろんなことを躾けてくれたし、叱られることも多かったので年頃には暴言も吐いたりしたが、いまとなっては感謝している。とくに料理を教えておいてくれたことは、現実的に役に立っていることのひとつだ。

祖母はよく、家事は人生の多くに通じているといった意味のことをおれによく言って聞かせ、勉強するのもいいが家事を手伝うことはもっと後々に役に立つのだといい、まあていよく手伝わされたのだが、一人暮らしをしているいまは、あの経験がなかったらと思うと空恐ろしくなる。

 最初は台所に立つのを面白半分にしていたおれに、

「調味料はなんでも少しづつ」

 と叱りつけ、いたずらに味付けをしようとすると、余分によそった調味料を飲まされそうになったものだった。特に火の扱いについては厳しく

「火のおそろしさには注意しなさい…火は使い方ひとつで人を殺す」

 と言われたときにはどきっとしたものだった。

ふだんは温厚な祖母の口から、

「コロス」

という単語が出たとき、まるでそこに昔話に出てくるおそろしい山姥が立っているようで、その夜はうまく寝付けなかったのをいまだに覚えている。それくらいの年齢は火遊びがおもしろい時期でもあるから、よく仲間たちと広い野原でやみくもに爆竹を鳴らしたりしたものだった。それでも、ひとりで火を使うときは、慣れるまで祖母の言葉を思い出していた。

 おれが大学2年のときだから、ちょうど成人式の年に、祖母は亡くなった。特に病名もなく老衰であると、看取った母が言っていた。葬儀は、その世代の女性にしては豪華なものだったように思う。親族や近所の連中が集まって、祖母の思い出話をした。そのときにもやはり、どこのだれともわからぬ年寄りどもに

「宗助さんによう似てきょった」

「いっそう似てきょった」

 と口々に言われた。なかには祖母が見たら気が変になったかもしれないとまでいう声もあった。酒が入っているからなのか、イナカ特有の親近感の一種なのか、彼らは口が軽かった。だが一応彼らに酌をすすめる立場にあてがわれたおれは、わからないなりにもホストとして話を聞き、聞かれた事には答えた。

「ばあさんっ子じゃったけ、いろいろ思い出もあろう」

 と聞かれたときに、《火の扱い》のときの話をした。

「そりゃあ…、火のことだけと違うわいなあ」

 しのび笑う老人たちに、おれはばつが悪くなった。人に話すことではなかったのだ。

四十九日も過ぎて、祖母の持ち物を家族で整理しているときに、古い布張りのアルバムが何冊か出てきた。表紙を開くと、埃と年月分の湿度と黴のいりまじったにおいがした。それは布張りの表紙が卓上に触れた拍子に散らばったにおいで、油紙をめくって写真を繰っていくと、封じ込められていた古い紙のにおいだけが強く残った。祖父はおれに似てなかった。少なくとも写真で見るには。生前祖母に尋ねたときも、

「爺さんのほうがもっと、好い男だった」

 と言っていたのを思い出した。

 

 高速道路を飛ばしながらおれは、祖母の話していた《火の扱い》について少し考えた。

「火のおそろしさには注意しなさい…火は使い方ひとつで人を殺す」

 その、火、にあたるところに別の言葉を置き、祖母の真意を推測してみた。刃物、金、女、言葉…ほかにもまだまだあるだろう。おれは祖母の言いつけを正しく理解し、守ることは一生できないことだけがわかった。

 世界には「おそろしくて注意が必要だが、おそれているだけでは使いこなせないもの」が、ごまんとある。意志のない道具であれば最低限の注意で生活を円滑にする。だが、金には人の意志が宿り、言葉には人そのものが宿ることがある。多分おれは何度も自分の不用意な言葉で、だれかを殺すまでには至らしめなくても、傷つけたことはあるだろう…。それを思い出して、祖母の《火の扱い》の教訓は底のない沼のように深く思えた。けれど、おれの記憶として鮮明なのはいつだって、だれかを傷つけたものより傷つけられたことなのだった。

 

あの同窓会の日から月に一度、おれは里帰りのように地元に近い店で、幼児の様になる。

わざわざ2時間も車を走らせてそこへ行く間にも、日々の疲弊が薄らぐのがわかる。夜の色が濃くなり星の光がかすかに強くなる。肩肘を張らずにすむ。

 いまとなっては聞くこともできないが、祖母にもっと祖父がどんな男であったかを聞くべきだったと思う。写真では感じられなかったがやはりどこかが自分に似ているかもしれない。女遊びをするような男、に、なってからは祖父が身近に感ぜられる夜がある。

 こんなことをしている男というのは、やはりどこかでにおうのかも分からないが、最近は合コンに行っても前よりも女の子が釣れない。それこそ扱いを注意し、服やアクセサリを純粋に褒めたり、話をきいてあげたり(女の話を聞くのは前よりおもしろくなった。話す相手がいるからかもしれない)しているのに、食事止まりで先がない。そもそも、本当は先――肉体関係にもちこめたとしても――あんまりそっちでは奉仕してあげられないので、適当にうっちゃれる相手が複数いる方が疲れなくていいのも本音なのだった。

はじめて合コンで持ち帰った女の子に

「なんか、あんまり上手じゃないのね、見た目より」

と、自分は達悦しているのだ、というような態度で言われて以来、性行為には後ろ向きの姿勢なのが実際だった。そのときには正直にかなしくて反論もしなかったけど、傷ついてうずくまっているだけでは始まらないのも事実だ。

 こんなおれが、いつか同級生たちのように、家庭を持つことができるんだろうか。目的もなく将来のためにしていた貯金が少しずつだが減っていっている。一応世間的には恥ずかしくない仕事をしながら、結構クールにやっているつもりなのに、こないだみたいに集まれば、なまぬるい空気に息がつまってしまう。

「温度差の問題なのかな」

 フロントグラスに広がりだしたけばけばしいネオンに、意味深な言葉を吐いてもむなしくて、おれはまたやりばのない気持ちを全部性欲に清算する。

 

 

 

 

 

 

 

戻りましょう

ご感想→みるもりちひろ行