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久しぶりに会う友人たちが、めかしこんで談笑しているのが見える。華やいだ雰囲気の会場を見渡しながら知った顔に手を振り、輪に加わる。2次会とはいえ人の結婚式に参加するのは初めてのことだった。わたしが半年前から大阪に住み始めたことは多くの友人に知られていなくて、仕事の話をおりまぜながら経緯を話す。社会人になって首都圏から離れていないコも多いから、関西の話をするとおもしろがってくれる。充実しているのだと話しながら自分の空疎な部分を隠している。そんな虚勢を張る自分がおかしくて、ときどき人の話の合間にうつむく。

会場が暗転し、音楽が流れ、新郎新婦となった友人にスポットライトが当たった。

 

人と人とが一緒に暮らす、生きていくことはむずかしい。

4年前の夏、当時大学生だったわたしが半年間のホームステイから帰ってきたとき、母が離婚の話を切り出した。それまで、単身赴任していた父とは10年離れて暮らしていた。父の地方転勤が決まった10年前、母はいまの勤めをやめたくないといい、わたしも学校などの理由で、父についていかなかった。思えばちょうど初潮がはじまるかくらいの頃から、母とふたりで暮らしていたんだった。女ふたりで喧嘩もあったが楽しくやってきた。わたしが大学に入学してからは、母の残業が増え、付き合いの飲み会が増え、恋人の影も見え隠れした。

離婚の話は驚かなかった。ただ母が、いまの恋人について中国の大連に行くという話には驚いた。私は年齢だけならもう20歳になっていたが、今後は都内の本社に戻ってくるという父と暮らす話になった。夫婦が長い時間と手続きを経て「他人」になっていくのをわたしは見ていた。10年前に決断するとき、離れて暮らすことでこの結末になることを、いい大人ふたりは想像しなかったのだろうか。暮らしはじめてから父に質問してみたが、曖昧にしか答えをくれなかった。母の状況が決断を分けたのだろう。以前、父についていかなかったのは「自分の仕事と子供のため」だった彼女が「仕事を捨てて恋に生きる」には「子供の私」は不要だったんだろうと解釈している。

ともあれ離れて暮らしても親は親だし、一緒にいても親は親だ。

かつて離れて暮らしていた父の変貌もまた驚きで、わたしのあいまいだった男性観を育てた。彼は一人で暮らしていた10年間のあいだに、いままでまるでダメだった家事を克服するどころか趣味にし、緑の世話もし、金魚を飼っていた。急展開で同居することになった大学生のわたしに、細心の注意を払って接してくれた。贔屓目かもしれないが娘としてというよりは、女性として扱ってくれた感がある。

いまはそんな父とも気を遣いあうでもなく、役割分担しながら滞りなく暮らしている。もう私自身もこんど25歳になるのだし、そろそろ自立なり一人暮らしなり身の振りを考えなければとも思うのだが、母といたときとはまた違う居心地の良さにあまえ、先送りする日々がつづいた。

そんな幼い甘えが通用しない状況はすぐにやってきた。父が関西方面に転勤するという話が出たのだ。わたし自身は大手英会話教室の事務兼講師として勤務し2年。契約社員とはいえ、大学で学んだ語学の生かせる仕事に就けたし、仕事はおもしろかった。ひとりで暮らしていけるだけの収入は、支出を見直せば無理ではない程度。だがこの先を考えたときに、この会社で正社員になって働くという気持ちにはなれなかった。他の仕事もやってみたい…。いろいろ考えてみて、それが大阪であってもいいと思った。

というのは表向きで、父と暮らしていればわずかだが貯金は崩さずに済むし、生活費も最小限で済むという計算はあった。自分で稼いだお金を好きなことに使えるのが、おもしろくてたまらないこの頃だ。保身と世間に言われても、嫁に行くまで親元にいてもいいじゃないかと思ったのだった。契約更新しない意向を上に告げると、わたしの配属されている支店に年明けから他の社員を充当するので、年末までの勤務という話になった。父の転勤も年明けになるという話だったので条件を飲み、その年の1220日付で退職することになった。

退職前に片付けながらも、わたしは何の予定もないクリスマスのことを考えずにはいられなかった。英会話教室では毎年いちばん盛り上げてきたイベントなのである。周囲の講師は授業の準備の合間にクリスマスの準備をしていた。家に帰るとこんどは引越しの支度をすすめる。たまたま食器を古新聞につつんでいたときに出てきた広告に、クリスマスの前後3日だけのケーキ販売のアルバイト募集が目に付いたので、応募してみたら受かってしまった。無事退職し、数日の休暇をとってのち、寒空のした、わたしはケーキを売った。思えば大学を卒業してからは恋人のいるクリスマスを過ごしていない。大学のとき付き合っていた彼はどうしているのかも知らない。たまに聞く噂では派遣会社に就職したが、ハードワークに心身ともに疲弊し、実家に帰ってフリーターになってるという話だ。就職活動中には立派なリーマンになってやると息巻いてた、けっこうイイ男だったのに。

そのアルバイトが終了し、ホールのケーキを頂戴してしまい、父とふたりで難儀したすぐ翌日に、職場の方々がささやかなお別れの席の予定が入っていた。彼らにはアルバイトは勿論内緒だったが、やっと今年の労働が終わったという開放感で、量を飲んでしまい、いい具合にほろ酔いになった。酔いを醒ますために帰りは歩いた。同じような連中が街にはあふれだしていた。ネオンは来たる年始のためにきらめいていて、それを見ているときゅうに東京の街を離れる実感がわいてきた。感慨にひたりながら歩を進めると、知った顔がバス停のベンチに座っていた。彼は肩で息をしている。

「戸倉さん?」

 わたしは彼の名を呼んだ。ひどい汗をかいている。

 

 すぐに病院に連れて行ったほうがいいと思い、道路に手をかざしタクシーを呼んだが、年末なのでつかまらない。救急車を呼ぼうか…わたしがイラついていると、彼はわたしを制し、肩を貸してくれと言った。わたしは言われたとおりにして、彼の行こうとしている道へ歩を進めた。煙草と、汗のにおいがした。息が荒く、足取りは確かだが重い。わたしはすぐに疲れてしまった。しっかりした体つきの男性を支えて歩いたことなどなかったし、運動不足のせいかもしれない。彼は何度もごめんと言った。

戸倉さんはつい先日のバイトでわたしとコンビを組み、同じ店舗の路上でケーキを販売していた人だ。

初対面からして明るく接客に慣れているような感じだったが、手際がよく、適当な宣伝文句を並べ、人を立ち止まらせてケーキを売っていく様は、只者ではない。店の社員なのではないかと疑いたくなった。仕事の合間に尋ねると、わけあって今年の春に5年勤めた会社をやめて、いまは地元で求職中なのだという。接客の口調が軽やかなように、わたしにもきさくに話しかけてきて、バイト期間の3日ですっかり打ち解けた。最終日にはケーキの箱をぶら下げて、そこらの安い飲み屋でふたりだけでちいさく祝杯を上げた。

「やーどさくさにまぎれてでも、クリスマスの夜に女の子と酒が飲めてよかった!!

  軽薄な言葉とはうらはらに、随所で気を遣ってくれる戸倉さんに、わたしは好感を持って店を出ると、「よいお年を」とおたがいで言い合いながら別れたのである。昨日のことだ。

だが彼はいまや瀕死だ。息も絶え絶えにたどりついたのは、戸倉さんの家だった。かまぼこ板のもっと厚い、多分いい木材なのだろう、しっかりした表札に苗字が刻まれている。生まれてずっとマンション育ちのわたしは、そんな場合ではないのにそれに目をやった。門灯には自分の息が細かく白く照らされている。インタホンを押すと、奥からすぐ人が駆けてきた気配がした。

「もう大丈夫ですよ」

 わたしはうなだれた戸倉さんにささやいた。彼はもたせ掛けていた身体を門扉に預けるとわたしの手を握って言った。

「ごめん、もうすこしこうしてて」

 ほどなくして彼の母親がやってきて、わたしをも家に促した。そういえば、ケーキを販売しているときにも彼女を見た。ほかにも何人か「買いに来てやったよ」と彼の友人や、祖母と思われる人物がケーキを買っていったのである。そのたびに戸倉さんは「狭い町だな」と苦笑した。母親の敷いた蒲団に横になった戸倉さんの手を、わたしが握っていることに、彼女は何も問わなかった。担ぎ込まれた息子を見ても、ほとんどあわてた様子は見られなかった。そうした一連の不自然さを考えているうちに、わたしの弾んだ息は整い、戸倉さんの様子もよくなった。運び込んで小一時間ほど経っていた。

 彼はもういちどわたしに謝り、自分は不安神経症なのだと話してくれた。なんとなく精神的な病気なのはわかったが、詳しく知らなかった。

「オトコの癖に電車に乗ると心臓が暴れだしたりして、だめなんだ。これでも通院してクスリ飲んで、よくなったほうなんだよ。困ったもんでね、気の持ちようなんだってさ」

 1年ほど前に突然発病し、特に理由もなく不安にかられたが最後、発作が訪れて、呼吸困難になり耳鳴りとめまいが起きるという。ひとしきり説明してくれたのちに、今日は本当に申し訳なかった、としゃんと立って礼をして彼は言った。

  彼の母親が呼んでくれたタクシーでわたしは家に帰った。彼女はわたしの母親よりずっと老けてみえたが、茶封筒にタクシー代を包んでくれ、

「ありがとうございました。こんなおそくまで、本当にごめんなさいね」

タクシーが角を曲がるまでずっと門扉の脇に立ってわたしを見送ってくれた。

 

引越し準備をしながら、なぜかわたしは戸倉さんのことが気になってしかたがなかった。この先彼に何もできないくせに気持ちだけで動いて、デートに誘った。戸倉さんは意外そうに、けれど嬉しそうに東京観光をしてくれた。生まれてこの方東京に暮らしていたくせに、浅草も月島も訪れたことのない私を、地元の彼は説明してくれた。花やしきの軋むジェットコースターに乗りながら、この人を好きなのだと確信した。若いコがいくデートスポットの東京を照れくさがって歩かない。飾り気のない都営バスデートでごめんと謝る。この人を好きだ。その気持ちは通じていたことも判って、余計に確信は強まった。そのまま夜は彼とともに過ごした。お互いの幼少時代のことや好きな音楽、映画、小説…話すことは尽きなくて時間はいくらあっても足りなかった。もどかしく感じると相手の手を握ってみたり、肌を合わせたり、街を歩きながら何気なく寄り添える冬がありがたかった。

けれど渡阪する気持ちには変わりはなかった。どれほど彼との距離が近くなっても、自分ひとり東京に残り、暮らすという気持ちにはなれなかった。今後どうするかは分からないけど、ひとまず父親についていくことにした。同棲することを提案してもよかった。遠距離恋愛になれば、気持ちは否応なく変化してしまう。だが彼が病人であることは、わたしを弱くした。しばらくは自分ひとりで稼いでも、ふたりでいることを選ぶか?いままでそんな苦労を想像したこともなかったわたしには、そこまで向こう見ずに恋に飛び込むことはできなかった。

なんと優柔不断な自分だろう。

彼もわたしが渡阪することに反対しない。非難の言葉もぶつけてこない。もういい年のオンナが、父親の転勤についていくために仕事をやめる。できたばかりの恋人も、捨てて。わたしは決めかねながらも充分に悩んだ。ここで決断ができなければ、自分は一生自立はおろか結婚もできないのではないか…そう思った。こんなに弱い自分を呪ったことはない。まだ若いのに安定が第一だと、冒険もできない自分にはチャンスは来ないだろう。チャンスが来ても見過ごしてしまうに違いない。

1月の連休を前にした、東京駅の16番ホームの混雑したなかを、戸倉さんは見送りに来てくれた。

「クスリ飲んで出てきたから、もう電車も問題ないみたい」

「新幹線に乗って、会いに行くよ」

「車で行くのもいいかな」

そういってくれるのは嬉しかったけれど、無理をさせたくなかった。

「これからのことはこれから考えよう。お互いができるだけの事をすればいいだけだよ」

 そう言う彼もきっと、思ってくれていたのだろう。自分を責めるわたしに気づいていたのだろう。やさしいひとだ。わたしはこれからも誰かを好きになるとき、やさしい人を選ぶに違いない。自分の弱さを責めない人を好きになって、決断できなくて、甘える。わたしはなぜかそのとき不意に母の横顔を思い出した。もう4年は会っていない中国へ行った母。いまごろどうしているだろう。

 彼にたくさんのありがとうを言って新幹線に乗り込み、強く瞳を閉じた。涙は出なかった。

 

 大阪の街は東京とはちがう湿度の風が吹いていた。わたしは職を探したり派遣会社に登録したりと、なるべく大阪の街を歩くようにした。地図を片手に方向感覚を体に覚えさせるように、用がなくてもウィンドウショッピングに出かけた。街の喧騒には聞きなれない関西弁が粘着質をおびて耳にまとわりつく。その感じがまるで自分を異邦人にさせるようで好きになった。

 仕事が決まって、慣れていって、その間もこまめに戸倉さんと連絡しあった。電話やメールやチャット…会わなくてもお互いを近く感じることはいくらでもできる。その連絡にかきむしられるような煩悶はない。あっても、いつのまにか自分で感情を殺している。わたしは安定したパンプスで、職場まで電車に揺られ、当たり前のように毎月のお給料で買い物をして、貯金をして、ときには世界の悲劇を伝えるニュースに憤懣してみせる。それがいまの自分の幸福だと思っている。なにかを失ってまで何かを得たいとは思えない自分に苛立ちながら暮らしていく。

 

 賑やかな音楽とともに、着飾った友人に送られる拍手の音。泣きそうだけど口唇にたしかな幸福をルージュで縁取った彼女の顔を、たくさんのカメラのストロボが当照らす。わたしはこころからの祝福ができない。この式が終わってから、半年振りに会う戸倉さんのことを考えている。彼の顔や手や、煙草と汗のにおいを思い出している。

彼が仕事につくまでは、わたしはやっぱり彼を選べない。それを明確に伝えなければならない、今夜はそのために会うのだ。

きゅうに手放しがたいような気持ちに襲われて、いとおしくて泣きたくなる。わたしもしあわせになりたい。好きな人と一緒に年を重ねていきたい。おいしいものを食べて、微笑みあいたい。

わたしは友人の結婚式で泣いているのだ。ひとを祝う気持ちはなんて美しいのだろう。こんなにも胸を熱くさせる…自分のなかから自然と湧いてくる涙は、弱いわたしの理屈が幾重にもかさなる渇いた層をしっとりと濡らしていく。

 

 

 

 

 

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